常盤色計画

小次郎
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常盤色計画>武蔵小次郎>1-1

   助けてください。
    そんな文字を打ち込む。
    暗い部屋の中でスマホ画面の明かりだけを頼りに送信をタップする。そのあと、数秒としないうちに更新を操作。二分間それを繰り返し、全く変わらない画面にため息をついた。
    助けてほしい。それは本当の気持ちだ。
    ここ数日間、どれだけこの言葉を打ち込んだだろう。
    本当に助けてほしい。この恐怖から。今だって、怖くて何も手につかない。読み途中の漫画。まだクリアしていないゲーム。全く手を付けていない宿題。
    全部たまっていく。
    こんなバカなことしていないで……
    都市伝説のようなことを信じて、そればかりすがっていないで、ちゃんと端から片付ければ、中学生のころのように、親にも叱られず、みんなに褒められて、自分から進んで勉強をしていればこんな気持ちにならなかった。
    いや、そもそも違う
    みんなにおだてられ特進科などに入らなければ、こんなに難しい勉強をしなければならない状態に陥らなかったのに。
    勉強に躓いて、落ち込んで、その上あんなことまで。
    なぜ自分だけが……。
    彼は再びそのアプリのメッセージ画面に同じ言葉を書き込もうとして……。
    手が止まった。
    画面がいつの間にか切り替わっていた。
    まるでネット電話のような画面。けれど、今までこんな画面は見たことはない。
    まさか有志が作った芦原高校の裏掲示板アプリにこんな高度な機能があるとは思えない。いくら芦原高校に情報処理科があってその生徒が総動員で作った掲示板だとしても……。何の承認操作もなく、いきなり画面の向こう側からピンクの髪の女の子が話かけてくるとかありえない。
    「こんにちはー!」
    ありえない。
    「ん、いまもう午後九時だから、『こんにちは』はないかー。やっだー、タキリったら間違えちゃんった。ごめんねー」
    ありえない。
    あんな髪の色の生徒、どこの学科にもにもいない。これは断言できる。そんな人物、いたら話題になる。かの芸術科の王子のように。理工科の不良のように。同じ学科でなくても、見たことはなくても、存在だけで有名になれる人間というのは確かに存在する。
    こんなピンクの髪のアニメみたいな子学校にはいないはずだ。
    では、誰だ?いやそれよりも
    「あれー」
    まじまじと不思議そうにこっちの顔を覗き込んでいる女の子。
    「やっだー。なに不思議そうにこっち見てるのさー。女の子にそんな態度をとっちゃうとモテないぞ!ばっきゅん」
    なぜこっちの様子が分かるんだ。
    「ねぇ、なんか言ってよー」
    「は?」
    思わず疑問の声が出てしまった。
    すると、
    「は?じゃないよ。ちゃんと回線つながってんじゃない。」
    しかしこれは何だ?
    「うふふ。君!なに不思議そうな顔をしてんのかわかるよ」
    小悪魔の笑みで画面の向こう側のピンク色の髪の少女が笑う。
    「え、なんで回線つながってんの?通話アプリに切り替わった?芦原高校裏掲示板アプリ絶賛稼働中でーす」
    さもおかしそうに笑う。
    なんなんだ。この子馬鹿にされているようでだんだん腹が立ってきた。
    「ちなみにこの回線はあたしたちが繋ぎました。あ、電源切ってもだめですよ」
    思わず強制シャットダウンしようと電源を長押ししたが、なぜかパソコンが切れない。
    「な……」
    なんだ。新種のウイルスか!
    「最も本当に切りたいのならスマホぶち壊せばいいですけどぉ。いいんですか?本当に?あなたは何のためにこのアプリに救出要請を出したんですか?」
    ハッと気づいた。自分は何をしているんだ。少年は手を離した?

   「知っていますか?」

   きれいな顔をした後輩にその話を聞いた。

   「この学校の裏側のうわさ」

   それはよくある裏サイト。芦原高校のコミュニティサイト。そこに繋がる特別アプリ。
    電子生徒手帳に付属しているメッセージアプリの類とは違う完全なアンダーグラウンドの世界。
    誰が作ったのか、いつの間にか存在していた。そこでコミュニティを形成していく。そして、学校では話せないようなことを書きこんでいく。
    例えば学園のプリンスや憧れのマドンナの話。
    高嶺の華である彼女たちを妄想の言葉で匿名の人間たちが噂し、はやしたて、時には性のはけ口となる。
    例えばうわさ話。あのカップルを見かけた。付き合ってる?どこまでいってる?いつ別れる?別れてほしい。たくさんの恨みと願望。
    そして悪口を書き込むのはとても楽しい。いつも偉そうにしている先生の悪口はとても開放的で楽しいものである。
    小さなコミュニティもあれば、巨大コミュニティもある。基本的に匿名であるそこで、人はいくつもの顔を使い分け、時には雑談を楽しみ、時には弱いものを攻撃してストレスを発散する。
    そして学園生活の困りごとを相談するのもここだった。
    学校と社会はとても閉鎖的だが、芦原高校は違う。創立二〇年。普通科だけで千人近い規模。その他の学科をあわせるとゆうに三千人という人間がこの掲示板に書き込んでいるのだ。

   「そのアプリで困っていることを相談すると助けてくれるんですって」

   そう後輩は教えてくれた。まるで、全てを見抜いているかのような目で。微笑んでいたけれど、あれは違う。笑いではない。親切でもない。
    それでも、そのアプリにすがった。
    それほど助けてほしかった。怖かった。逃げ出せなかった。
    「君は……」
    少年は震える声で聴いた。
    「君は僕を助けてくれるのか?」
    「うん」
    彼女は屈託のない笑みを見せた。それは同級生とは違う本当の心からの笑いに少なくとも少年には見えた。
    「あたしはあなたを助けるためにわざわざ回線をつなげたんだから」
    それは……。本当の救出の手だった。
    「あなたが本気なら私たちは話を聞くわ」
    「助けてほしいんだ」
    あれだけ気味の悪かったピンクの髪の女の子が今や地獄である世界にもたらされた一筋のクモの糸だ。
    だから矢継ぎ早に話そうと思ったら、彼女はそれを止めた。
    「待って。あなたが本気なのかを決めるのは一人じゃないの。あたしはあくまで連絡係。それにあなただってネットで物事が解決するなんて簡単なことあるわけないってわかるでしょう?」
    「え?」
    なんか出鼻をくじかれた気持ちになる。
    「今から画面を切り替えるからそこにパスワードを打ち込んで。そしたらここから外れるから誰にも見られるものではないわ。そこに悩み事を書いてくれれば、あたしたちがその状況に応じて助けます」
    「応じて?」
    「そうそう。テストでよい点を取りたいなんて願い、いちいち叶えてられないでしょう。あくまでもあたしたちは有志ですから。そんなことで動けないのよ」
    そうだ。助けを求めた掲示板を作ったのは有志だ。その管理人ならば……。
    「あなたが本当に困っているのならあたしたちが本当に助けてあげるわよ」
    「そのパスワードを教えてくれ」
    今すぐにこの苦しみから逃れられるのならば、そんな甘い誘惑にもう少年は耐えられないほど心が衰弱していた。

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