常盤色計画

小次郎
トップ

常盤色計画>武蔵小次郎>2-1

   もし自分がまともな人間だったらどうなっていただろう。
    時折小次郎は考える。
    もし、自分はごく普通の人間であっただろう。遠くから綺羅星のように輝くエマを見て、洋治とは挨拶を交わす程度。さくらとはお互い認識せずに素通りも起きていなかった。
    そして何よりタキリはいなかった。
    そして自分には平凡な生活、普通の苦くて今となってはかき消したい子供時代だけだったろう。
    ただの子供。
    そして……両親は離婚せずに済んだかもしれない。
    しかしその「もし」が小次郎には想像つかないのだ。
    両親のそろった生活とか、うるさい母親とか威張り散らした父親とかまったくもって想像がつかない。
    親の愛を知らないわけじゃない。少なくとも離婚のあの日までは自分は生きていた。しかしわからない。
    あの日以前に両親が自分をその瞳に映すことがあったかどうかはわからない。
    本当に知らない。
    離婚を期に変わってしまった「親」という存在は「現在」であって、少なくとも自然な形で形成されたものではないだろう。
    普通の。ごく普通の。どこにでもあるような普通の家庭で両親に育てられたのであれば、今のような「才能」に気付いただろうか?そして今そこにいる友人と対等にいられたであろうか。
    「ねぇ、コジロー」
    「……」
    部屋が寒い。いつも冷房をつけっぱなしにしているのだからしょうがない。
    「なんでそんなにセンチメンタルになっているの」
    小次郎は目を開く。ここは自分の家、自分の部屋だ。
    このコンピューターだらけの部屋。昔、友人が来たときは足の踏み場がないといわれたことを思い出した。
    しかしこの部屋は常に掃除をしている。ほこりの類は厳禁だ。
    ただ、コンピューターが乱雑に積み重なっているだけだ。そしてパソコンのモニターパネルが壁の四方、合わせて12台取り付けられているだけだ。それをコンセントやらケーブルやらでつないでいるだけだ。用途別用そして予備を備えてあるからコピー、スキャナ、複合機が6台ほど置いてあるだけだ。
    たったそれだけ。
    けれども東京隣接する県の一都市。一般的な一軒家で一般的に与えられる子供の部屋だ。さして大きくもない。6畳もない部屋にそんなに物を置いたら、ベッドを置くだけでやっと。勉強机が置けないのだ。
    いや必要ないと小次郎は思う。勝手に決めつけている。
    ベッドで目を覚ます。
    少しうたたねをした。
    顔を上げるとピンクの髪の女の子が自分を覗き込んでいた。
    「考えすぎるとストレスで胃に穴開くんだって?」
    「まじ?それどこの情報よ?」
    聞くまでもない。彼女の情報源はインターネットの海だ。
    「えっと……」
    「いいよ。また今度で」
    彼女が不思議そうな顔をした。
    そう必要な情報があったら自分で検索すればいいのだ。それが正しいか、正しくないか判断するのはあくまでも小次郎自身だ。
    「ストレス胃潰瘍になるだったら、俺、もうとっくに胃潰瘍だし、洋治あたりは胃がないな」
    「そーね」
    軽い彼女の相槌にはいつもすくわれる。
    「あーそうだ。メールチェックしとかないとな」
    「お母さまから来てたよ」
    「内容は?」
    「連絡頂戴。絶対今日中」
    なるほど、簡潔だ。
    「タキリ。師匠に連絡とってもらっていい?」
    「了解」
    いつも夜うきうきとした口調で返す。タキリはきっと「お母さま」と話ができるのがうれしいのだろう。それが自然と音で出たのだろう。
    小次郎は思う。やはり師匠は天才なのだと。
    「つながりましたー」
    と連絡が来たのは10分後。
    「どっちで会話する?」
    「普通にモニターでいいや」
    といった瞬間、目の前の画面が切り替わる。そこに出たのはアニメーションのウサギのマスコット。なかなかキュートなアバターである。
    「らりほーだな。小次郎元気?」
    「やぁ、師匠。仕事は大丈夫?ちゃんと寝てる?風邪ひいていないか?」
    「お前は私の弟か!」
    画面の中のウサギがびしっと突っ込みを入れる。
    「まぁ、現実に血はつながってないけど、馬鹿のような『変な脳みそと使えない体』という意味ではリアルの姉弟より近い気はするけど」
    そんな小次郎の返事に
    「なー、そーな。でもよかったわ。本当の家族だったら、本気で共倒れだもんな」
    誰も世話してくれないという意味では確かに死んでいるだろう。
    そういう体質なのだ。二人とも。
    「でも、二人なら世界征服できそうだな」
    そんな軽口を小次郎が言った瞬間、
    「やめときな」
    その言葉に怒気が混じる。画面の中のウサギもむすっとしていた。
    「世界征服とか軽口でもいうんじゃないよ。お前の大嫌いなあいつらと同じになるよ。人でなくなりたいのか?」
    「いや、そうだね。ごめん」
    素直に反省する。
    「まぁ、お前があちら側に取り入られることはまずないと思うけど……」
    ウサギはそう前提を置いて、
    「最近あいつらどうだ」
    「たぶん暗躍してるよ。理事長が手を尽くして学校に囲い込んだけど、入学一か月で学校を占領した」
    「あぁ、とんでもない奴が生徒会長になったもんだ」
    たぶん芦原高校でも前代未聞だ。入学早々、10日で生徒会長の座に座った同学年の男子生徒」
    「和泉巽」
    小次郎が嫌う「例の計画」中心人物。さんざん煮え湯を飲まされた彼に小次郎が思うところは一つである。
    死ね。世界の平和のために死ね。
    これに尽きる。
    「で、なんか用事?」
    小次郎は自分に沸き上がった口に出してはいけない言葉をかき消すため、話を変えた。
    「あぁ、私が君に連絡したのは、ちょっと耳に入れておきたいことがあったからだ」
    「なんだい?」
    「最近あいつの動きがおかしい」
    それは……由々しき事態だ。
    「気を付けろ。小次郎。お前は私と同じで戦える人間ではない」
    わかっている。メンバーの中でも自分だけはまともに防衛手段を持たない。戦闘能力らしいものではない。はっきりと足手まといだ。
    走って逃げることのできるエマ以下だ。
    あくまでも自分はベッドにふんぞり返ってタキリの力を借り、みんなのサポートをするしかないのだ。
    「あくまでも忠告だよ。」
    「ありがとう、師匠」
    「万が一のことがあったらタキリ経由で連絡頂戴。私の権限をもってどうにかするから」
    どうにかする。これほど心強い言葉があるだろうか。
    自分を地獄から引っ張り上げ、本当に死にかけていた小次郎をどうにかしてまっとうな高校生にしてくれたのだから、この人はその力があるのだ。
    「それじゃぁね。もうすぐあなたの父親が帰ってくるようだから、ここで切りましょう」
    「うん。わざわざ忙しい中ありがとう」
    つながらないことままあるし、こうやって会話をするのも二カ月ぶりだ。頻繁に連絡を取っていないのは何も親しくないからではない。ただ純粋に高校生の彼に比べて、師匠は忙しいのだ。
    といっても、小次郎もその正体を知らない。自分が「師匠」と呼び慕っている人物が、自分の命の恩人が、自分をここまで導いた先生であっても、数少ない同じ種の人間であっても。その実、会ったことはない。その名前も知らない。
    いやそもそも自分が女性であると言ったから、師匠を女性だと思い込んでいるだけで、実際の性別はわからない。ネカマかもしれない。
    それでも敬愛している。
    会うことがすべてではないし、知ることがすべてではない。忙しくて時間がなかなか取れないという彼女の言葉を疑う理由がまずない。
    入学祝いもメールであったし、いろいろな伝達もタキリがやってくれた。
    それだけでいい。
    自分には十分だ。
    あっさりと電話は切れたが、
    「んふふ~」
    なぜかタキリは機嫌がいい。
    「タキリ」
    小次郎はようやくベッドから配線だらけの床の上に降りた。
    「食事をしてくるから例の件をよろしく」
    「ういーっす」
    もうなんでこんな性格になってしまったか聞かない。自分が知っている女性にはないタイプだから、誰かにあこがれてまねたということはないだろうに。
    小次郎は数歩でドアまで歩きつき、ノブをひねる。廊下はとても暖かかった。
    ふぅっと胸の中に冷たい空気を吐き出す。
    あの部屋が空調管理しているのは特別小次郎が暑がりなわけではない。あそこにあるコンピューターを熱から守るにはかなり強力な温度設定が必要なのだ。
    「さてと」
    姉が言ったことが本当ならば……。
    「ただいま」
    ガチャリと鍵が開いて、父親が玄関に入ってきた。
    「おぉ、小次郎」
    小次郎の部屋は玄関に一番近いところにあるから、すぐに目が合った。
    「お帰り、父さん」
    よれよれのスーツに身を包んだ中肉中背の男を見て、小次郎は内心少し白髪が増え始めたことを気にした。
    普通のサラリーマン。それはあくまでも彼が望んだものではなかったはずだ。会社はストレスとの戦いなのだろう。
    たぶん自分が置くことのないサラ―リーマンというものを想像しても、ちっともよくわからなかった。だから、あくまで、受け売りだ。
    父もあまり会社のことをしゃべる人間ではない。
    「ご飯はお手伝いさんが来て、あっためるだけだよ。すぐに温めるよ」
    「着替えてくるよ」
    そう言って父親は二階に上がっていった。その姿がとても疲れて見えるのはやっぱり苦労が多いからだろう。
    小次郎はだからこそ温かい食事を用意したかった。キッチンに向かい、それぞれの鍋を温め始める。
    さすがに長い付き合いのお手伝いさんでだいたいは小次郎がIHのスイッチを入れるだけ、電子レンジのボタンを押すだけで温まるようにしてあるものだけだ。
    味噌汁がふつふつと湧き上がるころ、父が階段を下りてきた。
    「だいたいできたよ」
    「そうか。ではお椀をとってくれ」
    味噌汁をお椀に移すのは父の役目。だから小次郎は炊飯器のごはんをよそう。失敗が多い小次郎が多少こぼしても、味噌汁ほど害がないからだ。
    両方が出来上がっておかずも並べる。
    そして親子は静かに夕食を始めた。
    「学校はどうだ」
    「それなりに」
    「友達と仲良くやっているか?」
    「洋治はいい奴だからね」
    わざわざ父の知っている優等生の名前を出す。
    父はほっとしたような顔をした。
    まぁそうだろう。洋治は優等生だ。ここまで父兄の信頼の塊のような高校生はそういないだろう。小次郎もそう思った。
    しかし、父は違ったようだ。
    「お前がきちんと高校生活を送れるなら、それだけで父さんはいいよ」
    味噌汁を片手で持ち上げながら父は静かに笑う。
    あぁ、そうだ。
    自分はいつも心配をかけてばかりいる。
    とあることが起きた。そうして武蔵小次郎という人間は自分を見失ってしまった。
    そしてそれが始まりだった。壊れて、一人になって、彼は孤独になった。母は普通にできない子供が怖かったのだろう。彼女は逃げた。子供を一人残して。
    本当に一人ぼっちになって、そして食べるものが何もない暗い世界で一度は息絶えたのだと思う。
    そして目覚めたときに病院のベッドにいた。管が無数に体に入っていた。随分とやせていた。餓死の一歩手前であったらしい。
    骨と皮だけになった小学生の手を男が握っていた。単身赴任で半年も会っていなかったことに加えて、小次郎の意識そのものがもうろうとしていたからそれが父だと最初わからなかった。
    「申し訳ない」
    父は泣きながら謝罪の言葉ばかりを繰り返した。
    そして両親は離婚した。父は小次郎を育てるために転職をした。もともと将来を渇望され、業界のトップランカーとなるために妻子と離れ仕事に万進していた父がだ。
    その栄光の未来も小次郎が潰した。
    それはある程度成長してから知ったことだけど、素直に申し訳ないと思う。両親に。追いつめてしまった母親にも。小次郎を育てるために転職をした父にも。
    ふがいない自分がいけない。
    だからできることをしたい。
    小次郎は父の温めてくれた味噌汁を飲みながら、今日の依頼者を思い出す。そしてどうしても気になる矛盾点を改めて思い返したのだ。

次

inserted by FC2 system